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大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)584号 判決

控訴人(被申請人) 敷島紡績株式会社

被控訴人(申請人) 下川喜久子

主文

原判決を取消す。

被控訴人の申請を却下する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述及び疎明関係は、左に記載の外は、いずれも原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

第一、控訴人は、次のとおり述べた。

(一)  被控訴人が控訴会社(以下「会社」ともいう。)を退職するに至つた経過は次のとおりである。

被控訴人は、昭和三五年一一月二九日自署による退職願を提出したので、会社は、これを受理し、退職に伴う諸手続は完了せられたのである。すなわち、被控訴人は、同月三〇日同月分の給料残額二、三八〇円、退職金八、四七二円を会社から受領し、労働組合から、組合脱退による個人別罷業資金の返還を受け、共済組合からその脱退による退職餞別金を、女子寄宿舎自治会からも餞別金をそれぞれ受領し、和歌山市の兄下川昇方に転出するべく、姫路市役所飾磨支所より転出証明書の交付を受け、一二月五日健康保険、厚生年金保険、失業保険の被保険者資格喪失が確定したので、同月八日には失業保険金受領のための離職票を会社から受領した。以上のように、退職に伴う諸手続は、通常の場合と何ら異ることなくなされたのである。

(二)  しかるに、原判決は、被控訴人の退職の申入は、第三者たる兄昇の強迫によりなされたものであるから、これを取消し得るものとして、被控訴人の本件仮処分申請を認容した。しかし、右退職の申入は、昇の説得もあつてなされたものではあるが、その説得は、血肉を分けた兄としての愛情に基くものに外ならないのであり、兄妹の間において強迫なるものが存在したとは到底考えられない。すなわち、昇のいうところによると、昭和三四年暮被控訴人の父が死亡した当時、昇は被控訴人に対し今後色々な問題で困ることがあれば、互いに相談し、兄妹力を合せて家を守ろうと話しており、その後も、郷里徳島県の母の意向(昭和三五年の暮被控訴人が母のもとに帰郷したとき、母から会社の外部の異性との接しよくがあるようであるが、工場生活を続けているために、右異性との関係が断てないのであれば、会社を退職して帰郷するか、和歌山市の昇のもとにおいて他に就職するかしたらどうかと諭した由である。)もあり、被控訴人の将来について心配していたが、かねて被控訴人から一度昇に会いたい旨の便りもあつたので、同年一〇月末頃所用の途次会社の工場に被控訴人を訪ねたところ、被控訴人は、兄の来訪を非常に喜び、久しぶりに色々語り合つた。その際、昇は、被控訴人が民青等に出入し、異性との交際もあり、失恋による打撃を受けたことなどから生活が放縦に流れがちであるとの感を深くし、工場にいたのでは、とても、そのような生活から脱却し得ないと判断し、かつ、被控訴人の将来の結婚問題等を考慮の上、和歌山市に帰り、転職するよう兄としての愛情のもとに諭すに至つた由である。被控訴人は、昇の右の話を聞き、兄及び母の意向に同意する旨を述べたが、友人関係その他の身辺整理を行うため、一カ月間の猶予を求めた。昇は、右の事情から再び一一月二九日被控訴人を工場に訪ねたところ、被控訴人は昇と会うや、退職する旨を告げ、退職願を自署の上、昇を帯同してこれを会社に提出したものである。退職手続後被控訴人と昇は、被控訴人の荷物の荷造りをして、その発送方を会社に依頼し、昇は、被控訴人から委託された一部の荷物を持つて、一足さきに和歌山市に帰つたのである。

以上の事実関係からして、昇の説得は、平穏裡になされ、これに対する被控訴人の強い反抗も、両者間の激しい口論も、いわんや暴力の行使もなかつたものであるから、被控訴人に畏怖の念が生じたとは考えられず、たかだか、昇の説得を了承しながらも、民青の同志に対する未練を若干感じていた程度であり、全く強迫に類する事実は、存在しなかつたものである。従つて、昇の強迫があつたと認定した原判決は事実を誤認しているものである。

(三)  被控訴人が、退職の意思をひるがえしたのは、昇が一足先に和歌山市に帰つて後一二月一日頃民青の仲間による被控訴人の送別会において、右仲間から「退職するな、民青の同志全員のために頑張れ」と強くいわれ、その強要の結果に外ならない。すなわち、退職の申入は、被控訴人の自由意思に基くものであり、むしろ、右申入の取消こそ民青仲間の強要によるものである。

(四)  被控訴人の兄昇は、現在も被控訴人の帰郷を鶴首して待つており、同人のもとに帰れば、生活にも困却することはないのである。また、紡績業の実態として、未成年の女子を多数あずかる控訴会社その他の同業会社にあつては、その親権者ないし父兄の希望にそつて、従業員の身の振り方を処置するのが通例である。控訴会社においても、右通例の処置に従つて、極めて多数の女子従業員の退職手続を行つて来たが、過去において、本件のように問題化した事例はない。しかも、本件においては、被控訴人から退職願が提出され、退職に伴う諸手続が終了した後、会社の関与しない事由(本人とその身内の者との間における話の内容乃至程度)により、既に一一月二九日をもつて終了した雇傭関係がくつがえされるというが如きは、由々しいことといわなければならない。

(五)  なお、被控訴人は、退職の際、控訴会社の従業員をもつて組成する敷島紡績労働組合を脱退したから、その組合員たる地位を失い、従つて、労働協約第三条により、会社の従業員たる地位を失うに至つたものである。

(六)  以上の次第であるから、原判決は、事実を誤認し、法律の適用を誤つており、取消されるべきである。

第二、被控訴人は、次のとおり述べた。

控訴人の右主張事実中、被控訴人が退職後控訴人主張のように、共済組合等から餞別金を受領したことは認めるが、労働組合を脱退したことは否認する、被控訴人が退職願を提出したことを理由に、組合は、被控訴人が組合を脱退したものとして取扱つたにすぎない。控訴人のその余の主張事実中、被控訴人の主張に反する部分は、いずれもこれを否認する。

第三、(疎明省略)

理由

被控訴人が昭和三二年四月一四日控訴会社(以下単に「会社」ともいう。)に雇傭せられ、姫路市飾磨細江の控訴会社飾磨工場に精紡工として勤務していたところ、昭和三五年二月頃から民青に加盟したこと、民青は、容共民主々義団体であることは、当事者間に争がなく、成立に争のない甲第一ないし第三号証(但し同第三号証はその記載の一部)、乙第三号証、原審証人名児耶勲、原審並びに当審における証人佐野勝己(各一部)、同渡辺徳吉(各一部)、同藤原常一(各一部)の各証言、被控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が一応認められる。

被控訴人(昭和一七年二月五日生れ)は、期間を定めずして会社に雇傭せられたこと、前記のように、昭和三五年二月頃に民青に加盟し、また、容共民主々義の週刊誌「わかもの」の読者となり、右民青及び「わかもの」の各サークル活動に参加するに至つたものであるが、同年三、四月頃工場の工務係長田村某は、被控訴人に対し「君のことについて、労務係長や工場長と話したのであるが、民青とか「わかもの」のような外部団体とは一切手を切つてもらいたい。」といい、その頃現場の班長藤平某は、被控訴人に対し「民青とか、「わかもの」は、共産党の下部機関のようなものだ。そんなものだとすると、会社にとつては都合が悪いから、会社は黙つてはいないだろう。今のうちに、やめた方がよい」といい、爾来同人は、右の趣旨を何回も被控訴人にいつた。同年四月頃被控訴人の入居している寄宿舎の舎監渡辺徳吉は、被控訴人に対し「民青や「わかもの」に行くなら、会社をやめてからにしてもらいたい。」といい、また、前記田村係長は、その頃現場の事務所において、被控訴人に対し長時間にわたり、民青及び「わかもの」との関係を断つよう説諭した。以上のような次第であつたので、被控訴人はやむなく、同年五月上旬頃渡辺舎監に対し以後民青や「わかもの」のサークルに行かない旨を口頭で誓約し、その後約二カ月の間右サークル活動を一時中止していたのであるが、同年七月頃から再びサークル活動をはじめたので、渡辺舎監及び藤平班長は、それぞれ被控訴人に対し右活動をやめるよう忠告した。しかし、被控訴人は、これに従わず、活動を継続していた。この間渡辺舎監は、被控訴人の友人である他の女工員らに対し「下川は、誓約を破り、再び民青や「わかもの」のサークル活動をしている悪い人だから、下川と交際してはいけない。交際していたら、やがて、君らも民青等に引き入れられてしもう。」といつて、被控訴人との交際を禁止した。同年九月上旬頃会社は、被控訴人が反対したにかかわらず、会社の都合上必要であるからとの理由をもつて、応援という名目で、被控訴人を、精紡工としては、類例の少い炊事係に配置転換した。控訴会社が工員募集のため、徳島市に設置している徳島出張所長西原某は、同月下旬頃工場へ来て、被控訴人に対し「あなたが民青をやめないなら、おかあさんに知らせて必ず郷里に連れ戻させる。そうなると、会社は、今後徳島県下からは絶対に工員を採用しないようになる。」との趣旨を申し向けて、民青との関係を断つよう勧告した。被控訴人はこれに応じなかつたけれども、自分が民青や「わかもの」と関係を断たないことにより、母や工員志望の徳島県人に迷惑を及ぼすことにつき、心痛するに至つた。その頃渡辺舎監は、寄宿舎の各部屋長を集めて、「近頃寄宿舎内の工員のうちに、共産党の下部組織である民青や「わかもの」に参加している者が少数おるが、他の工員をして参加せしめないよう監督して慾しい。なお、参加するなら会社をやめてからにしてくれと伝達してもらいたい。」と指令し、よつて、各部屋長は、その旨舎内の工員に伝達し、掲示板にも、寄宿舎自治会の名義で右同趣旨の掲示が何回もなされた。また、渡辺舎監は、他の工員に対し被控訴人との交際を禁じ、たまたま工場内を被控訴人と並んで歩いていても、その工員を呼びつけて注意する程であつた。かくて、被控訴人は、会社内では、被控訴人の思想、信条に共鳴し、または特に被控訴人に同情している極く少数の者を除き他の大多数の工員らからは敬遠され、白眼視せられ、孤立無援の立場におかれ、憂うつな日々を送り、ただ、民青及び「わかもの」のサークル活動に参加したときだけ愉快なひとときを過すことができ、引続き右サークル活動をやつていた。被控訴人は、幼くして父を失い、同年一〇月頃当時母は、郷里徳島県三好郡西祖谷村有瀬という片田舎に独りで極めて貧しい生活をなし、長兄昇(当三七年)は、被控訴人が物心のつく以前既に和歌山市に出て、当時は、同市の株式会社高田鉄工所において、工員として勤務し、妹二人は、名古屋市と和歌山市においてそれぞれ工員として働いていた。しかし、被控訴人は、兄昇とは昭和三三年の正月和歌山市の同人方で生れてから始めて一回会つただけで、その後会つたことはなかつた。ところが、昭和三五年一〇月末頃昇が突然工場に被控訴人を訪れ、被控訴人に対し「民青をやめるか、会社をやめるか、どちらかにしてくれ、なるべくなら会社をやめて、和歌山で兄と共に暮そう。」といつた。被控訴人は、右いずれにも応じたくない旨答えたところ、昇は、「徳島出張所の西原所長が、郷里の母に対しお前を民青、「わかもの」と関係を断つよう説得してくれと懇請したが、母が手紙が書けないので、らちがあかぬので、所長は、母をつれて和歌山の自分方に来り、二人が自分に右説得方を懇請し、二人は今和歌山で待つている。」旨を告げた上、母が非常に心配している旨を付言した。しかし、被控訴人はあくまでも、右要求を拒否したところ、昇は、同日より翌々日まで工場に宿泊し、執ように右要求に応ずるよう迫り、「お前が民青をやめずに会社に働いていたら、兄や妹らにどんな悪い影響を及ぼすか考えてみよ。」と申し向けたので、被控訴人は、兄や妹らに悪影響を及ぼすことを恐れ、なお、兄や母を安心させるため、最終日において、ついに昇に対し「民青をやめる」旨答えたところ、昇は、「誓約書を書け、書くまでは和歌山に帰らぬ。」と迫つた。そこで、被控訴人は、やむなく、「組合活動にはタツチしません。自治会にもタツチしません。民青をやめます。共産党も脱退します。」旨を便箋に記載し、昇に見せた後これを渡辺舎監に交付した。同日昇は、帰つたのであるが、その帰途被控訴人に対し『渡辺舎監と色々話したのであるが、同舎監は、「妹さんは、いくら注意しても民青や「わかもの」をやめてくれず、このままなら、会社をやめてもらうより外はないと考えていた。今やめるなら、ボーナスも会社としては一二月分までを給与する。」といつていた。』旨告知した。しかし被控訴人は、右誓約にもかかわらず、その後も民青や「わかもの」のサークル活動を継続していたので、渡辺舎監から二回程注意され、他の工員らからも何度も忠告された。同年一一月二九日昇が再び工場に来て、被控訴人に対し『徳島出張所の西原所長が自分方に来て、「妹さんを連れ戻してくれ。どうせ会社としても首にする積りらしいから。」といい、母も所長と共に来ており、泣いている。お前は、誓約書を書いて民青等のサークル活動をやめると約束したのに、なお活動をしている。これ以上活動を続けると兄としては自分の会社にも具合が悪いから、退職願を書いて会社をやめてくれ。』と要求した。被控訴人は、「やめたくない。」と答えたところ、昇は、「徳島出張所の人が何回も来てうるさい。母も泣いている。お前がやめなければ、兄も会社をやめなければならないし、妹らにも影響する。」といつて、退職を迫り、被控訴人が、なおも拒否すると、「兄を路頭に迷わしてもよいのか。」と申し向けた。そこで、被控訴人は、退職をしたくないけれども、かねて、控訴会社から昇勤務の前記高田鉄工所の労務課長あてへ被控訴人の民青及び「わかもの」のサークル活動のことを書面で通告してある旨被控訴人は、以前昇から聞かされていたので、被控訴人が昇の要求に従わない場合には、兄のいうように、各工場に勤務している兄や妹らに悪い影響を及ぼす結果を生じ、殊に、兄は退職するのやむなきに至り、失業して一家が路頭に迷うことになるかもしれぬ、また、被控訴人自身も前記いきさつよりして、会社を解雇されることは必定であり、そうなると次の就職に差支を生ずることになる、なお郷里の母は徳島出張所より引続き何度もうるさくいわれ、何時までも心痛するであろうし、西原徳島出張所長が以前いつたように、被控訴人故に徳島県下からは工員を採用しなくなる、かように、自己及び自己以外の多数人につき、不利益な結果が生じ、自己以外の者らには迷惑をかけるので、被控訴人はやむなく退職を決意し、同年一二月三一日限り退職する旨の同年一一月二九日付退職願(乙第一号証)を作成して渡辺舎監に対し提出すると共に退職に伴う一切の手続を同人に一任した。その際、昇は、渡辺舎監に対し、「自分は、今日帰るが、妹は一二月一日に自分の所へ帰る。」と伝えたので、同舎監は、右退職願を人事係に廻付したところ、同係では「一二月一日に帰るのに、同月三一日まで在職させるわけにはゆかぬ。ボーナスも出るようにするし、失業保険金も早くもらえるようにするから、残つている年次休暇四日を加えて退職願中退職の日付として同月三一日とあるを同月五日に訂正して慾しい。」といつたので、同舎監は、その旨被控訴人に告げて了解を求めたところ、被控訴人は、既に退職を決意した直後であつたので、これに対し異議を述べなかつた。そこで、同舎監は、かねて預つていた被控訴人の印鑑を使用して退職願の退職の日付を一二月五日と訂正した。かくて、即日会社側において、右退職願による退職の申入を承諾し、ここに会社と被控訴人との間に雇傭契約を一二月五日限り解約する旨の合意が成立した。

以上の事実が一応認められ、前示甲第三号証の記載、原審並びに当審証人佐野勝己、同渡辺徳吉、同藤原常一、当審証人佐藤正美の各証言中、右認定に反する部分は、いずれも前示各疎明資料に比照して採用し難く、他に右認定を左右するに足る疎明資料はない。

右認定の事実関係のもとにおいては、被控訴人主張のように会社が被控訴人を解雇したものであると断定することはできないし他に解雇の事実を疎明するに足る資料はないから、該事実を前提とする被控訴人の解雇無効の主張はこれを採用することはできない。

また、右認定の事実関係のもとにおいては、会社は、被控訴人の容共民主々義の思想、信条及びこれに基く民青及び「わかもの」の各サークル活動を嫌い、同人の退職を希望していたことは窺われるけれども、被控訴人の前記退職の意思表示が、被控訴人主張のように、普通人をしてその地位に立たしめても他の途を選ぶことを期待し得ない程度の抗拒し難い威迫、その他意思の自由を喪失する程度の圧迫を受けてなされたものであると断定することはできないし、他にかかる事実を疎明し得る資料はない。従つて、右主張の事由により退職の意思表示が無効である旨の被控訴人の主張もまた採用することはできない。

被控訴人は、右各主張が理由ないとするも、被控訴人の退職の意思表示は、強迫に因るものであつて、被控訴人において昭和三五年一二月二日控訴人に対し右意思表示を取消したから、雇傭契約の合意解約は無効となつた。旨主張するので、この点につき検討する。

前記認定の事実関係のもとにおいては、控訴人の兄昇の被控訴人に対する退職の説得行為は、昇が前記誓約書を作成せしめた場合と退職願を提出せしめた場合とを前後相通じて考究すると、兄として気の毒な立場にあつたとはいえ、通常の説得の程度を著しく逸脱したものであり、また被控訴人の容共民主々義の思想、信条及びこれに基く活動を嫌つてなされたものであるから、違法性を帯有するものであるというべく、なお、右説得行為は、被控訴人が退職を拒否するにおいては、前記のように兄昇及び妹らに対し失職その他の悪影響を及ぼし、被控訴人自身につき解雇の結果及び再就職の困難を招来し、母を何時までも心痛せしめる結果になるべき趣旨の害悪を示したものであるということができ、なおまた、被控訴人は、昇の退職の説得を拒否するにおいては、右のような害悪の生ずべきことにつき畏怖を生じ、その結果やむを得ず昇の要求を容れ、因つて会社に対し退職の意思表示をしたものであるとみるべきである。従つて、昇の説得行為は、民法第九六条第一項の強迫に該当し、被控訴人の退職の意思表示は、強迫に因るものであるというべきである。

控訴人は、「被控訴人の退職の意思表示は、強迫に因るものでなく、被控訴人の自由意思によるもので、全くかしのないものである。さればこそ、被控訴人は、退職の際会社よりの給料残額、退職金の受領、労働組合からの個人別罷業資金の返還受領、共済組合その他からの餞別金の受領、及び転出証明書並びに失業保険金の受領のための離職票の受領等退職に伴う諸手続を終了したものである。」旨主張(前記控訴人の主張第一の(一))し、成立に争のない乙第二ないし第六号証、同第九ないし第一三号証によると控訴人主張のように、被控訴人は、退職の際、右各金員の受領その他退職に伴う諸手続を終了したことが疎明し得られるが、前段認定の退職に至るまでの事実関係に、弁論の全趣旨を総合すると被控訴人の右各金員の受領その他の退職に伴う諸手続の行為は、退職願を提出して、退職した関係上、被控訴人において、退職に伴う当然または通常の行為ないし手続としてこれをなしたものであることが認められるのであつて、かような行為ないし手続がなされたという事実をもつて、本件退職の意思表示が強迫に因るものである旨の前記認定を左右することはできない。控訴人のその余の疎明資料によるも右認定を左右することはできない。

そうすると前記雇傭契約の合意解除は、被控訴人において、強迫に因るものとして、これを取消し得る行為である。

しかしながら、成立に争のない乙第二号証、当審証人渡辺徳吉の証言及び弁論の全趣旨を総合すると、控訴人主張のように、会社は、被控訴人が退職願を提出した日の翌日である昭和三五年一一月三〇日被控訴人に対し被控訴人が退職したにより支払うべき同月二一日以降の給料残金二、三八〇円及び退職金八、四七二円を支払い、被控訴人は、これを受領したことが疎明せられる。右給料残金及び退職金の支払は、いずれも前記雇傭契約の合意解約の結果会社が被控訴人に対し履行すべき債務であつて、被控訴人は、その債権者として右履行を受領したものであるというべきである。ところで、前示認定の被控訴人が退職するに至るまでの事実関係によると、同年一一月二九日退職願を提出した後においては、被控訴人は、自己が退職しないことに因り生ずべかりし前記各害悪は右退職により生じないことになつたと考えるに至つたものであることが推認せられ、原審における被控訴人本人尋問の結果によると、昇は、右一一月二九日被控訴人が退職願を提出した後、午後五時頃姫路市において被控訴人と別れ、即日和歌山市の自宅に帰り、被控訴人は、その後なお会社の寄宿舎に残留し、一二月一五日に退出したことが認められる。右認定の各事実に、前示認定の被控訴人が退職するまでの事実関係を彼此参酌して考えると、昇の被控訴人に対する前記強迫の情況は、両名が右一一月二九日姫路市において別れたときにやんだものであるというべきである。従つて、その翌日たる同月三〇日における被控訴人の前記履行の受領は、民法第一二五条第一号の少くとも「一部の履行」に該当し(同条第一号は、取消権者が債務者として自己の債務を履行する場合だけでなく、債権者として相手方の履行を受領する場合をも含むものと解するを相当とする。)、被控訴人は、取消し得べき行為たる前記雇傭契約の合意解約につき追認をなしたものとみなされ(被控訴人が同条但書による異議をとどめたことについては、被控訴人において主張、疎明をしない。)、被控訴人の意思如何を問わず、追認と同様の効果を生じ、右合意解約の効果は確定するに至つたものである。従つて、右合意解約は、その後被控訴人において前記強迫を理由としてこれを取消すことができないものであるから、その余の争点につき判断するまでもなく、被控訴人の前記主張は不当として採用できない。

以上の次第であるから、被控訴人は、昭和三五年一二月五日限り控訴人の従業員たる地位を確定的に喪失したものであるというべく、従つて、同月六日以降なおその地位を保有することを前提とする被控訴人の地位保全及び賃金仮払を求める本件仮処分申請は、いずれもその余の点につき判断するまでもなく、その理由のないことが明かである。

よつて、右と趣を異にする原判決を取消し、被控訴人の本件仮処分申請はいずれもこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岩口守夫 安部覚 藤原啓一郎)

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